“ 往来をぶらぶら一人歩いてゐる ”
真夏日、かつての戦の場へぶらりと…
愛知県名古屋市緑区大高町の丘陵地に、かつて「大高城(おおだかじょう)」と呼ばれた山城が築かれていました。
1560年は戦国の時代、大高城は織田方に包囲されていました。
今川義元の命令で大高城に救援に向かう19歳の松平元康(徳川家康)は、周囲の二つの砦(鷲津・丸根)を襲い織田方の注意をそらすことで大高城内へ兵糧を運び入れることに成功します(※諸説有り)。
その翌日の桶狭間の戦いにおいて織田信長によって今川義元が討たれたことで、松平元康は大高城から撤退し故郷の岡崎城へ10年ぶりに入城します。
1562年に松平元康は今川氏との縁を絶ち織田氏と同盟(清洲同盟)を結び、今後は今川氏とだけでなく武田氏も加えた熾烈な戦いが始まることになります。
桶狭間の戦い以後、役割を終えていた大高城は廃城となり、現在は家々に囲まれた大高城跡公園として当時の面影は曲輪跡や空堀を残すだけの緑に覆われた静かな公園になっています。
訪れた日は気温36度を超える真夏日、風が全く吹かず暑く蒸された空気が大高城跡全体を重く包み込み、立っているだけで汗が吹き出てきます。
風が吹き抜ける涼しい場所を探し求めると大高の町並が垣間見える少し開けた場所を見つけられます。
今川義元が桶狭間で討たれたとの一報を受け、事の真相を確かめる緊迫した中で松平元康が眺めたであろう景色の約460年後と対峙した二つの砦の跡をそこから見渡すことができます。
写真・文:ミゾグチ ジュン