彼岸花が咲く参道から見上げ、ぶらりと…
「オヽ、もうこれが咲くのかと驚かるゝ花に曼珠沙華がある。私の国では彼岸花といふが、その方が好い。」(若山牧水「秋草と虫の音」より)
秋の彼岸の中日を迎える頃に、彼岸花(ヒガンバナ)を目にするようになります。
人の手が介することでのみ、この赤い花のひとつひとつが増えていきます。
愛知県新城市の「鳳来寺(ほうらいじ)」への参道の片隅で、2匹のクロアゲハがひらひらと舞う彼岸花の小さな群生を見かけます。
彼岸花には、幽霊花・墓花・地獄花・道忘花と言った数多くの不吉な別名がありますが、今日は天界に咲く花の意味を持つ曼珠沙華(マンジュシャゲ)と呼ぶ方が、標高695mの鳳来寺山の中腹にある鳳来寺本堂へと今から登っていくなら好いとします。
鳳来寺は、赤鬼・青鬼・黒鬼の三鬼を従えた利修仙人が鳳凰に乗って文武天皇(在位:697-707)の病を治したことで伽藍の建立と鳳来寺の名を賜り703年に開山したと伝えられています。
「さらに電車で鳳来山へ。駅からお山まで一キロ、そこからお寺(本堂)まで一キロ。石段――その古風なのがよろしい――何千段、老杉しん/\と並び立つてゐる、水音が絶えない、霧、折からの鐘声もありがたかつた。」(種田山頭火「旅日記 昭和十四年」より)
麓から鳳来寺本堂まで続く石段の数は1425段です。
まずは少し石段を登ると曼珠沙華(彼岸花)のような色彩を持つ橋の欄干と、その奥には1651年に建てられた仁王門が見えてきます。
225段目で対面する仁王門と両脇にそびえる仁王像、ここを入り口に本堂まで残り1200段を登っていく必要があるため覚悟を決めなければいけません。
いざ石段に足を乗せ、樹齢800年・高さ60mの太い幹を持つ新日本名木の一つにあがる傘杉を見上げ、森から響いてくるつくつく法師の鳴き声を聴きながら、本堂を目指したことをただただ後悔しながら一歩一歩、一段一段と登っていきます。
「こがらしに 岩吹きとがる 杉間かな」(松尾芭蕉)
石段を登る所々で不動院跡・等覚院跡・岩本院跡などと石碑の建てられた跡地が現れ、以前には21あった僧坊は明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や火災などによってそのほとんどを失ってしまい、現存しているのは松高院と医王院のみとなります。
医王院は、1159年の平治の乱で落ち延びた13歳の源頼朝が3年間匿われていた場所で、後に鎌倉に幕府を開いた際には参道の石段を寄進したと伝わっています。
腹違いの弟の源義経にいたっては、1174年に奥州へ逃れる義経を慕った15歳の浄瑠璃姫に鳳来寺の千寿峯で待つようにと言い残しますがすれ違いの末に姫を自害させています。
1425段、登り切るとまさしく天界に花が咲いたかのように本堂が目に入り、ようやく到達した達成感に満たされ近くに寄ろうとするも両足は哀しいくらいふらふらです。
現在の本堂は1974年に再建されていますが、再建の際に本堂の下から鬼骨入と彫られた石櫃が発見されており、中に納められていた骨粉は利修仙人が309歳で亡くなるまで従えた三鬼の頭蓋骨の一部ではないかと言われています。
本堂のさらに奥の方へと歩んだ一角で、鳳来寺が徳川家康生誕のきっかけとなった事を知り感銘を受けた徳川家光が建立した鳳来山東照宮を拝むことができます。
本堂に戻り見晴台から望んだ下界は、涼しい風が吹きつけ青空と深緑が広がるとても美しい地でした。
「麓の村門谷といふに着いた。見るからに古びはてた七八十戸の村で農家の間には煤び切つた荒目な格子で間口を廻らした家なども混つてゐた。山駕籠や、芝居でしか見ない普通の駕籠などの軒先に吊るされてあるのも見えた。」(若山牧水「鳳來寺紀行」より)
麓の町に帰るため、鳳来寺本堂を後にして一段一段と石段を降りて行きます。
前方に倒れないよう気を配りながら石段を降り、小さく仁王門の屋根が下方に見えてくると、迷うこと無く無事に麓に到着できそうだと安心します。
2時間ほど前には本堂に向けて歩いていたのに今ではどこか懐かしく感じる参道の景色、その参道途中の街灯に掲げられた看板にパンとコーヒー(pain et café)とあったので、旧門谷小学校に寄ってみます。
校庭を挟んで校舎に向かい合うようにパンとコーヒーのそれぞれの店がありましたが、残念ながらパンはすでに売り切れて閉店中です。
せめてコーヒーだけでもと思ったのですが、先に廃校となった門谷小学校を活用した開催中の現代美術展を勧められたので、大正期の木造校舎への興味もあり足を運びます。
自然の温もりと現代美術との調べを体感した後にくつろぎの一杯を求めてコーヒーをいただきます。
曼珠沙華(彼岸花)のような色彩のシャツを着て、地球儀をくるくると回しながらコーヒー豆の産地である東ティモールの位置や気候風土などを語ってくれます。
一人でアイスとホットのコーヒーを注文したので、それぞれでのコーヒーの抽出の仕方や、コーヒーと銀河の関係など酸味はほどほどで雑味を少し加えた深みのある話を聞くことができました。
森を背にした平屋の木造校舎と、傾いた日の光が当たって少しずつ伸びていく影を見ながら、刻々と過ぎていく時を感じながらコーヒーを口にするのも好いと思わせてくれます。
ここは、月・火・水の日暮れまでの営業なので訪れる際はお気を付けください。
今日は秋の彼岸の一日、あっという間に周囲が薄暗くなってきました。
明日からしだいに周囲の木々は緑から紅や黄へと葉色を変化させ、1300年の時を刻んできた鳳来寺山とその参道の秋の景色が人々を優艶な世界へと誘うことになるのでしょう。
写真・文 / ミゾグチ ジュン