幻の宮の痕跡を求めぶらりと..
秋空のもと、訪れた地で冷たさを含んだ風に吹かれるコスモスを見かけました。
メキシコ原産で、ギリシャ語の「κόσμος」(kosmos)を語源として調和・宇宙・美の意味を持つコスモス(cosmos)が日本に広まったのは、1876年(明治9年)に明治政府に招かれたイタリア人彫刻家の「ヴィンチェンツォ・ラグーザ」(Vincenzo Ragusa,1841-1927)が、彫刻のモデルとなった「清原多代」(後のラグーザ玉:1861-1939)の気を引くためにイタリアからコスモスなどの種子を持ち込み、西洋の花々を贈ったことが始まりとも言われています。
「 君やこし 我や行きけむ 思ほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか」(古今和歌集)
伊勢神宮から約15km離れた三重県明和町にある近鉄「斎宮駅」の北側に広がる地には、かつて「斎宮(さいくう、いつきのみや)」と呼ばれた宮殿が建っていました。
飛鳥時代の「天武天皇」(在位:673-686)を始まりとして平安時代を中心に約660年、天皇家の守護神であり祖先神とみなす伊勢神宮の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に仕える「斎王(さいおう、いつきのひめみこ)」と呼ばれる未婚の皇族女性が、天皇の即位に伴って亀の甲を火であぶる卜定(ぼくじょう:占い)によって選ばれました。
長い歴史の中で60人余りが選ばれた斎王は、通常は天皇の崩御や譲位によって天皇が代わる時までの期間に京の都から遠く離れた斎宮で神に仕えて生活し、天皇に代わって年3回の祭り(神嘗祭・月次祭)に参加し、天皇と天照大御神とを結びつけていました。
平安時代に入ってからの斎宮は、東西に約2km・南北に約700mの広大な敷地に碁盤目状の区画が区切られており、斎王と約500人もの官人が働きその家族も生活していたと言います。
日本古来の建物様式で、礎石を用いずに地面を掘った穴の中に柱を立てた建物(掘立柱建物)が2000棟近く建っており、屋根は仏教とともに伝えられた瓦は使われずに「檜皮葺き(ひわだぶき)」や「茅葺き(かやぶき)」だったと伝えられています。
平安時代の中期以降には地方の律令制が衰退したことにより、次第に武家が台頭してくることになります。
1172年に斎王「惇子内親王」(1158-1172)が急死し、源平の内乱期と重なったことで1185年まで斎王は置かれずにいました。
「いつかまた いつきの宮のいつかれて しめの御内に ちりをはらはむ」(西行「山家集」)
この頃の斎宮を訪れた歌僧の「西行」(1118-1190)は、人の手が入っていない荒れた姿を嘆いて歌を残しています。
鎌倉時代に入ってからは武家の力がさらに強くなり、天皇が幕府に依存するようになったことで斎王の役割は形骸化していきます。
「忘れめや神の斎垣の 榊葉に木綿かけそへし 雪の曙」(祥子内親王「新葉和歌集」)
1333年に鎌倉幕府を滅ぼした「後醍醐天皇」(在位:1318-1339)が、天皇親政による建武の新政を成立した際に斎王として「祥子内親王」(1322?-1352)が選ばれますが伊勢に赴くことは無く、1336年の建武の乱により後醍醐天皇が、後に室町幕府を開く「足利尊氏」(1305-1358)に破れたことで永きに渡った斎王の制度はついに終焉を迎えます。
斎宮跡歴史ロマン広場の西側に建つ「斎宮歴史博物館」に訪れることで、斎王とその居所である斎宮について学び、発掘調査で出土した緑釉陶器(りょくゆうとうき)や女官が使う「女手( おんなで )」(ひらかな)が記された墨書土器などを目にすることで失われた歴史を取り戻し、誰もがこの幻の宮を語り継ぐことができるようになります。
映像展示室では、1038年に「良子内親王」(1030-1077)が京の都から斎宮へと旅立つ5泊6日の従者含めた総勢200人に及んだ「群行(ぐんこう)」を、同行した貴族「藤原資房」(1007-1057)の日記「春記(しゅんき)」をもとに再現された映像で見ることができます。
8歳の幼い「良子内親王」が、父である「後朱雀天皇」(在位:1036-1045)とのお別れの櫛の儀式や菓子の入った銀の餌袋(えぶくろ)が贈られた話、月明かり星明かりでの歩み、峠越えの危険の伴う歩みなど道中の苦労や不測の出来事を映像を通して謎に満ちた群行を垣間見ることができます。
今の世では、毎年6月の第1週末の2日間にわたって「斎王まつり」が開催され、1989年には時代考証に則って群行が復活しました。
皇族身分に関係のない一般公募ではありますが、かつてこの地で過ごした多くの斎王や斎宮で働いた人々が、実際にここにいた事を多くの人が知るきっかけとなっています。
源氏物語や伊勢物語にも描かれた斎宮の痕跡が残る広場の所々で、桃色など様々な色を持つコスモスが咲いていることに気づきます。
乙女の真心・純潔・美麗などの花言葉が秘められた美しい花々が風に吹かれそよぐ姿に、歴史に忘れさられ語られることがなかった斎王たちの姿を重ね、ふと思いにふけると何だか鼻がむずかゆくなってきました。
写真・文:ミゾグチ ジュン