豊橋カレーうどんを求めぶらりと..
愛知県豊橋市には、ご当地グルメとして「豊橋カレーうどん」があります。
まずは、器の底にご飯を入れてその上にとろろをかけて自家製麺を使用したカレーうどんを盛り付けます。
そして、日本一の生産量を誇る豊橋産のうずら卵を具にし、福神漬け又は壺漬け・紅しょうがを添えて愛情持って作ることが重要でありルールになっています。
「豊橋カレーうどん」は炭水化物&炭水化物と言うこともあり、覚悟を持ち美味しく食する前に運動がてら豊橋駅から片道3kmほど離れた「瓜郷遺跡(うりごういせき)」までぶらぶら歩きます。
暑さの中で歩いていることに後悔しながら進むと、町中にぽつんと一軒の復元された家屋が見えてきます。
国指定の史跡「瓜郷遺跡」は、1936年(昭和11年)に道路拡張工事の際に発見された弥生時代(紀元前299年頃~西暦250年頃)の大規模な集落の遺跡で、1947年(昭和22年)以降の発掘調査では住居跡や多くの穴や貝塚、出土品として土器や石斧などの石器や木製農耕具、水田跡は発見できなかったが焼けたジャポニカ種と思われる米(炭化米)が見つかっています。
日本の水田稲作は、縄文時代の後期・晩期(紀元前2000年頃~300年頃)には行われていたと言われていますので、まず訪れた「瓜郷遺跡」は豊橋の古の食文化に関心を持つきっかけになりそうです。
道すがら出会う「豊川(とよがわ)」は、奥三河を代表する標高1152mの段戸山(だんどさん)を源にし三河湾に注ぐ流路延長約77kmの一級河川であり、かつては吉田川と呼ばれていましたが「住民を潤す豊かな川であるように」から「豊川」と名付けられたとのことです。
橋を渡るとその広々とした川幅から豊富な水量を感じることができ、河川沿いには「太田白雪(おおたはくせつ)」(1661-1735)の句碑「白魚の 城下までや 波の皺」を見つけることができます。
「豊川」から望める1954年(昭和29年)に模擬再建された吉田城の鉄櫓(くろがねやぐら)は、「東海道五拾三次」や「東海道名所風景」に「豊川」と一緒に描かれるほどのかつての名所でした。
古代の稲作起源まで豊橋の歴史を遡ったことにより、「豊橋カレーうどん」は現代までの2000年の英知を結集した食の到達点の一つとして考え、例えカレー汁が跳ねようが物怖じせずに美味しく向き合う心と胃袋の準備がついにできたようです。
「豊橋カレーうどん」を提供する店舗は市内の各所に40店はあり、ルールに従った中で各店舗ごとそれぞれに個性を発揮しています。はたしてどのお店に訪れるのが良いのだろうか、そんな悩みを持ちながら1867年の「ええじゃないか」発祥の一つでもある「牟呂八幡社(むろはちまんしゃ)」など豊橋の歴史や文化などを巡った先でふと出会う運命の「豊橋カレーうどん」を食してみるのも楽しいかもしれません。
写真・文:ミゾグチ ジュン