初冬の川のせせらぎ、源兵衛川

初冬の頃、静岡県三島市では暖かい日差しと冷たい風が入り交じり、町中を流れる源兵衛川(げんべえがわ)は、憩いの場として多くの人々を引き寄せています。
三島市内の各所で湧水が見られ、その源は富士山やその周辺に降った雨や雪解け水だと言います。
源兵衛川は全長約1.5kmの灌漑用水路(農業用水路)であり、室町時代に伊豆の守護代であった寺尾源兵衛が水田の灌漑のために、湧水によって形成されている小浜池から流れる広瀬(四ノ宮川)を開削して水を引いたと伝わっており、その名が源兵衛川の由来になっています。
かつては農業用水としてだけではなく、川沿いの家々の庭や台所、湯船などに湧水を引き込んで生活の水として使い、川で洗濯をしたり、子供たちが遊んだりするなど、日常的に川を親しむ姿が見られていましたが、1955年(昭和30年)以降の高度経済成長の到来によって、工場による地下水の汲み上げや農地の宅地化、道路の舗装などにより湧水の量が減っていき、豊富に水が流れていた源兵衛川は水位を下げ、生活排水の増加や廃棄されたゴミによって悪臭を放つ汚れた川に変貌していったことから、地中に埋設して川の流れを見えなくする暗渠(あんきょ)化の話が持ち上がったとも言います。
1990年(平成2年)に公園化事業が始まったことを切っ掛けに、市民・行政・企業が一体となってゴミ拾いなどで川の環境を改善し、冬には枯渇するほどだった水位を上げるために工場の冷却水を放流したことで、しだいに源兵衛川は再び人々が集う川を取り戻していき、今では夏にホタルが舞う姿を見ることができるほどまでになったそうです。
そして、源兵衛川を流れる水は終着地である中郷温水池で一定期間貯められ、水温が低く稲作に適さない湧水が温まってから、三島市内に広がる水田へと送られていきます。

三島市内の住宅密集地の中を緑の木や草に包まれて流れる源兵衛川、小浜池のほど近くから川の流れに沿い、川の中に設けられた飛び石や木橋の散策路を伝って下流へと歩んでいきます。
暑い夏になると川に入って水遊びをする子供たちや、素足で川を歩く大人たちの涼しげな姿が見られるようですが、訪れた初冬の今日は、川は静かに流れているだけです。
それでも、川を下って歩いていくと、印象的な場面や景色にいくつも出くわします。
川の流れに逆らって優美に泳ぎながら水に頭をつけるカモの姿、木橋で川と緑を背景に自撮りする二人組の姿、向き合う二組の家族が飛び石で足を踏み外さないように慎重に進路を入れ違おうとする姿、そして結婚式の前撮りであろうか写真撮影をしている幸せそうな場面に出くわします。
そのまま川に沿っていくと、三島に宿場があった頃に時を報せていたという鐘に出会いますが、この鐘は戦時中の供出によって失われたことから、1950年(昭和25年)に再び三石神社の境内に「時の鐘」として蘇ったと言います。
時の鐘の辺りには人だかりができており、どうやらすぐ近くの店に入ろうと順番を待っている人々のようで、昼時の周囲にはうなぎを焼く香ばしくも甘い匂いが漂っています。
そこから川の流れは、1898年(明治31年)に開通した伊豆箱根鉄道(当時は豆相鉄道)の橋梁と、石造りのアーチ橋の下を通っていきます。
木橋と飛び石が下流に向けてまだ続いていますが、頭をぶつけないように橋をくぐったすぐ先の川辺には、川の流れをゆっくりと眺められるテラスが併設されたカフェがあり、橋をくぐった際にテラスの方へと顔を向けてしまったところ、テラスに座ってコーヒーカップを手にする女性と目が合ってしまい、源兵衛川の趣ある景色を満喫していた中で不意に入り込んでしまい、少々申し訳なくなります。
気を取り直してもう少し進むと、源兵衛川の中間ほどに位置する「水の苑緑地」に到達し、ここでは人だけではなく泳ぎ疲れたカモたちの休息地にもなっているようで、三羽のカモがそれぞれ丸まって休んでいる可愛らしい姿をぼんやりといつまでも眺めてしまいます。
人の手によって生み出されたが、人によって汚されて存在を失う窮地に陥った源兵衛川ですが、多くの人の手によって人と自然が共存共栄していた頃の姿を取り戻しました。
源兵衛川の冷たく澄んだ水の流れ、その流れに身を任せてミシマバイカモ(三島梅花藻)は揺らめき、紅葉した落ち葉が川底に重なったことで、水面が日の光に照らされて色鮮やかに煌めいています。
いろいろな場面や景色に出くわし、さまざまな体験ができた、ここまでの源兵衛川の流れに沿った散策は、大冒険とまでは遠く及ばずとも、思い出に残る初冬の小冒険になったようです。












