日本の歳時記 – 十五夜 –
十五夜
澄み切った秋の夜空に燦然と輝く月、十五夜は古からの風習として月見の行事が行われます。旧暦の8月15日の夜、お供え物をして月を愛でる月見行事は、十五夜、仲秋の名月と呼ばれます。十五夜は旧暦では8月15日ですが、新暦では9月。旧暦は月の満ち欠けを基準にした暦で、新暦は太陽の動きを基準にした暦のため、旧暦と新暦ではズレが生じるのです。ちなみに2021年の新暦の十五夜は9月21日、2022年は9月10日となるようです。
仲秋の名月は作物の収穫時期を迎える農業との結びつきが強く、農耕民族である日本では古くから月見行事が行われてきましたが、それは感謝祭や祈願祭のような意味合いのものでした。月の動きで農耕の手順を決めた旧暦では月は神格化され、人々は暦の神・農耕の神として月読尊を信仰してきました。
月を愛でて、その風情を楽しむ月見が広まったのは平安時代。貞観年間(859~877年)に中国から伝わり、貴族の間で広まっていきました。月を眺めながら酒を酌み交わし、歌を詠み、管弦を楽しむという、それは雅で風流なものでした。また、酒宴を伴う月見は室町時代中期に始まったといわれます。
庶民に月見が広まったのは江戸時代になってからのこと。庶民の月見は貴族や武士の楽しみ方とは異なり、古からの収穫祭に準ずるものだったようです。
十五夜のあとも十三夜、十日夜などの月見行事が行われますが、月見行事に限らず月にまつわる寓話も多くあり、日本人の月に寄せる思いは独特の感性かもしれません。
*中秋は秋の真ん中という意味。仲秋は十五夜を指す。
月と日本人
月が満ち欠けし変化していく姿にも、それぞれに名前が付けられています。三日月、弦月(半円の月)、十三夜月(旧暦9月13日の月)、望月(満月のこと)、十六夜月(十五夜の翌晩の月)、立待月(十六夜の翌晩の月)など。また夕月(日没前後の月)、有明の月(夜明け前に残っている月)、弓張月、朧月というように月の形だけでなく月を巡る情景などによって表される名も多く、詩情豊かな月の名に想像がかき立てられます。
月見行事だけでなく、物語や小説、詩、和歌、俳句、浮世絵などにしばしば登場する月の、その背景にある情感は日本人の心を揺さぶります。それは花鳥風月に心を映し、想いを寄せる日本人ならではの感性といえるでしょう。満月だけでなく折々の変化を楽しみ、幾重にも心情を重ね合わせているのです。
古くは『竹取物語』、竹の中から見つかったかぐや姫が、満月の夜に月へ帰っていくのですが、月には別の国があり、かぐや姫は月の国の姫君だったというお話です。童謡の『うさぎ』から浮かび上がるのは、月に棲むものがいる、という捉え方。遠い空の向こうにある月に知る由もない世界のロマンを見たのでしょうか。
平安時代になると月の美しさや哀愁にも似た儚さなど、心情を映す和歌が詠まれています。『源氏物語-須磨巻-』や『平家物語-月見の章-』などでは月の美を描いています。『古今和歌集』に収められた和歌に
「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」(阿倍仲麻呂)
「月みれば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里)
「秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月影のさやけさ」(左京太夫顕輔)
などがあります。また平安末期の歌人・西行法師は
「願はくば花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」と詠んでいます。
江戸時代の浮世絵には各地の月の風景が描かれ、旅情を誘います。
明治時代以降も月をモチーフにした詩や歌、小説などがあり、日本人と月の物語は続いていきます。
唱歌では、栄枯盛衰の切なさをうたった『荒城の月』や、故郷に対する郷愁の思いが薫る『朧月夜』などがよく知られるところでしょう。
詩の世界では萩原朔太郎の詩集『月に吠える』や『青猫』、月の美しさよりも不安を象徴するような描き方が心に残ります。若くして世を去った中原中也の詩『月』や『幼獣の歌』にも月の描写が見られます。ユニークな感性と表現が一世を風靡した詩、その一部
~獣はもはや、なんにも見なかった。
カスタニェットと月光のほか
目覚ますことなき星を抱いて、
壷の中には冒涜を迎へて。~
高揚する気持ちに酔い、時に恋慕をうたい、ノスタルジアをかき立て、或いは妖しげな魔力に翻弄され、哀切の心情を重ねる…
月は、空間時空を超えて日本人の心を映す鏡のようなものかもしれません。
文 / 宮崎 ゆかり