木曽川に架かる吊橋へぶらりと..
長野県の南西部、町の中央部に木曽川が流れ面積の約94%を森林で占める南木曽町(なぎそまち)で川と道路に架かる大正期の木製吊橋に出会えます。
歩行者専用の木製吊橋ですが、想像するような上下左右に揺れることもなく、踏みしめる木の柔らかさを靴を通して感じながらしっかりとした歩みで自由に橋を往来することができます。
橋の上からは緑に囲まれた山の中の町を一望でき、見下ろすと車が走る道路と公園、そして静やかな川の流れに沿って広がる無数の白く角の丸い大石が目に入ってきます。
橋の途中には河川の公園と行き来ができる階段があり、降り立った地のすぐ近くに転がる眩しく輝く大石たちに興味を持ってみたり木製吊橋を真下から見上げてみたりと、微かな川風を感じながらゆったりとした時を過ごせます。
その木製吊橋の名を「桃介橋(ももすけばし)」または別称で「桃之橋」と言い、かつては江戸を起点に各地を結んだ五街道の一つで中山道(中仙道:なかせんどう)と呼んだ国道19号線と、流路延長約229kmの一級河川である木曽川の上空に架けられています。
日本の電力王と称された「福澤桃介(ふくざわももすけ)」(1868-1938)により、大正10年(1921年)の末から大正11年(1922年)の9月にかけて木曽川下流の読書(よみかき)発電所の建設用資材運搬路としてトロッコ軌道が敷かれた木製補剛トラスを持つ多径間吊橋である「桃介橋」(当初の名は桃之橋)は架設されました。
橋長約247m・幅員約2.7m、下部は石積み・上部はコンクリートの主塔3基を有し、中央の主塔には中州に降りる石階段が設けられた大正時代の土木技術の粋を集めた4径間の吊橋であり、木製補剛吊橋としては日本に現存する長大橋(ちょうだいきょう:橋長100m以上の橋)の中では最大で最古です。
トラス橋(Truss bridge:トラスきょう)は、部材(骨組みを構成する材料)が三角形になるよう接合した骨組みで作る橋で、非常に強度が高く湾曲力にも強いため部材の総量を減らすことができます。
しかしながら組み立ての構造が複雑となってしまうため費用がかかるのですが、安定性が極めて高いこともあり大規模な構造物に採用できるため、トラス構造を持つ吊橋として1998年に開通した明石海峡大橋は橋長3911mと日本最長になっています。
運搬路としての役割を終えた「桃介橋」は、1950年に読書村(現・南木曽町)に寄贈され村道として使われるようになります。
架橋からおよそ56年と老朽化が進む中、1978年に木曽川の増水で耐風索(横揺れ防止のケーブル)が破断してしまい修復が不可能な状態で通行禁止となり、町の人々が吊橋の修復と再開を求めますが、1993年に復元されるまで吊橋の床板は抜け落ち、荒れ果てた無残な姿のまま放置されます。
復活への幸運は、「桃介橋」の廃橋が議会で決まっても町には吊橋を撤去するための費用が無く、これまで通り野ざらしにされたままだったことです。
時は移り、日本にかつて無い好景気の波が押し寄せ1988年度に創設された「ふるさとづくり特別対策事業」の一環として「大正ロマンを偲ぶ桃介記念公園整備事業」の構想が生まれたことで「桃介橋」の復元への道が現実化していきます。
1992年に地方債を用いて安全性を高めた修復と文化財としての復元が進められ、1993年9月に「桃介橋」は架橋当時に近い姿を取り戻す見事な復活を遂げます。
そして、再び町の人々の往来や学生の通学路として使われることになり、1994年には読書発電所の施設の一部として日本国の重要文化財に指定されることになります。
吊橋のほど近くに建つ1985年に公開された「福沢桃介記念館」は、大正8年(1919年)に建てられた「福澤桃介」の西洋建築の別荘で、かつての恋仲で互いの夢のため別々の道を歩み二十数年ぶりに再会した日本初の女優で世界で活躍した「川上貞奴(かわかみさだやっこ)」(1872-1946)と事業の大切なパートナーとして読書発電所建設のおよそ5年間を一緒に過ごしました。
1985年に火災で2階が焼失しますが1997年に復元され、現在では写真や手紙などの遺品や架橋に関する設計図などの資料を展示しています。
強運を呼びこみ奇跡的な復活を遂げた「桃介橋」と、「福澤諭吉」(1835-1901)の娘「福澤房」(1870-1954)の夫でもあり実業家または政治家としてのドラマチックな人生と決して褒められないロマンスを持つ「福澤桃介」、それぞれの波涛のドラマへと誘うこの木製吊橋を渡って、現代からの傍観者として少しだけ時を遡ってみるのも良いかもしれません。
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江戸日本橋から京都まで至る中山道の一部、信濃国(長野県)と美濃国(岐阜県)の境にあたる木曽谷の一帯の街道を木曽路(木曽街道)と呼ばれ妻籠宿や馬籠宿など11の宿場が置かれました。
その内の野尻宿と三留野宿の中間辺りには、木曽の渓谷ではとりわけ美しいと言われる「柿其渓谷(かきぞれけいこく)」があり、渓谷へ向かう途中には大正12年(1923年)に建設された鉄筋コンクリート造りの柿其水路橋が圧倒的な存在感で出迎えてくれます。
到着した薄暗い渓谷の入り口から少し歩いてから出会う柿其川に架かった橋長35mほどの「恋路のつり橋」(恋路橋)は、誰もが期待する「吊り橋効果」(Suspension Bridge Effect)を確実に体感することができます。
大いに揺れ高ぶった気持ちを抑えながら300mほど木々に囲まれる遊歩道を進んで行くと、ドドドと歩みに合わせ滝からの音が少しずつ大きく聞こえてきます。
そして、滝を眺める展望台へと続く木製階段を下っていくと突如として視界が開け、エメラルドグリーンに輝く滝壺へと水を落とす落差25mほどの「牛ヶ滝」の明媚な姿に心が奪われます。
荘厳で巨大な花崗岩から奏でられる瀑声と、空に舞う滝飛沫に包まれる心地良い空間、ここでみながどのような情趣に富む言葉を紡ぐのか興味深くもあります。
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つぶしたお米を串に巻き付け、タレをつけて焼き上げる中部地方を中心に山間部の郷土食として宿場町を通して各地に広がった「五平餅(御幣餅)」、各々の地域やお店によって形がわらじ型や団子状だったり、タレは醤油か味噌を基本に、胡桃や胡麻を隠し味にして甘辛かったりとさまざまです。
観光パンフレットにも写真付きでたくさんのお店が載っているので迷ってしまい、それではいったい何処の五平餅屋に行こうかと大きく小さく揺らぐ心とお腹とでじっくり相談してみるのも楽しくです。
写真・文:ミゾグチ ジュン