奈良県へぶらりと…

★吉野・国栖の里
四方を山に囲まれ、日本書紀や古事記に『国栖人』と記されし人々が住んだ古の地『国栖(くず)』。
皇位継承の争い『壬申の乱』(672)で大友皇子の兵に追われた大海人皇子(後の天武天皇)をこの地の村人が助けたとも伝えられています。
現代でもこの地には、古の空気感を留めたかのような景色を少し垣間見ることができます。
伝承では大海人皇子が吉野に滞在された際に伝わった言われる紙すきの技術は、1300年以上の歴史があると言われます。実際には、室町時代に紙すきの記録が残っているため少なくとも600年以上はこの地で紙すきの技が引き継がれていることになります。
戦前の吉野地方には300軒もの和紙生産者がいましたが、今では僅かな軒数を残し今の時代に合う和紙を模索しながら営んでいます。
そのうちの一つ『植和紙本舗』を訪れると、海外の方が紙すき体験でハガキつくりをしていました。
最近は、行政の企画などで海外の方を対象にした紙すき体験が多くなり、言葉に頼らなくても紙すきの技術で直に交流できると楽しんでいました。
吉野といえば日本三大美林の一つとしてあげられる『吉野杉』があります。
色が白く艶のある吉野杉は、敷居や鴨居などの高級な建築材として用いられます。
その建築材への加工の際に発生する端材(はざい)を活用して生み出される『吉野割箸』。
端材とは、木材の切り出しの際に生じる余分な切れ端のことです。
この端材を加工することで、吉野杉一本を無駄なく利用することができます。
『竹内製箸所』では、木を切る音と舞う木の粉の香りで工場はいつも満たされています。


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★奈良国立博物館
「第一地獄亦分為 八。一等活、二黒縄、三衆合、四叫喚、五大叫喚、六焦熱、七大焦熱、八無間。」
2017年7月15日〜9月3日まで、1000年忌特別展『源信 地獄・極楽への扉』が開催されています。
『源信(げんしん)』(942-1017)は、奈良で生まれ比叡山で修行を積んだ僧侶で、死後に阿弥陀如来の来迎を受けて極楽浄土へ生まれ変わることを願う『浄土信仰』を広めました。また、『往生要集(おうじょうようしゅう)』を著し死後の世界である地獄と極楽のイメージを分かりやすく伝えました。
展示は源信の足跡と後世に及ぼした影響を、地獄などの様相を描く『六道絵』や『地獄草紙』、およそ1000年前の『観音菩薩立像』、巨大な『当麻曼荼羅』、忿怒の表情が厳しい『閻魔王坐像』は目の前に立つと実際に裁かれているようで迫力があります。
死した女性の体が朽ちていく経過を観察した『九相図(くそうず)』や口臭の女・毛虱の男など描く国宝『病草紙』など平安から鎌倉の時代にかけての多くの展示物は見ごたえがあります。
地獄に落ちた罪人は『八万劫年』(1劫年= 43億2000万年)もの間、火で焼かれたりあんなことされたりと苦しむことになるとのこと。
恐ろしや地獄。
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★奈良公園・猿沢池
「びいと啼(な)く 尻聲(しりごえ)悲し 夜乃(の)鹿」(芭蕉)
奈良公園・猿沢池は、周囲の柳と一緒に興福寺の五重塔が水面に映り込む情景は南都八景の一つです。
8月16日〜25日までの期間、『ならまち超珍(ちょうちん)アート』として猿沢池の水面に幾つもの提灯が浮かんでいました。
奈良の町(ならまち)の夜が、年々面白くなってきています。

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★奈良公園・若草山
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出(い)でし月かも」(安倍仲麿)
古代より山が三つ重なって見えることから『三笠山』と呼ばれ、現代では『若草山』として親しまれています。
山全体が芝生で覆われる芝山で、その山頂付近から夕日に染まる奈良の町を見下ろすことができます。
その美しさは、かつての都を浮かび上がらせるかのような幻想的な雰囲気を創り出します。

