山梨県「甲州ぶどう」
「勝沼の宿は人家多く繁昌なるところ甲州街道で第一番地、甲州葡萄は此国の名物なり」(荻生徂徠 著「峡中紀行」)
訪れるとまるで異世界に迷い込んだかの様に風景が一変し、四方一面にぶどう畑が広がる『勝沼』。
この緑の葉の下には、巨峰を始めとしてデラウェア、ピオーネ、皮ごと美味しく食べられるシャインマスカットなどの多くの品種のぶどうが実っています。
なかでも、『甲州ぶどう』は日本固有の品種として古来より育てられ食べられてきました。
1186年に『雨宮勘解由(あめみやかげゆ)』なる人物が、山道で見つけた珍しい蔓草を発見して持ち帰り育てたところ、5年後に甘い果実がなったとも言われています。
また、それ以前の718年に大僧正『行基』が夢で現れた『手に葡萄を持った薬師如来像』を刻んで安置したぶどう寺『大善寺』を建立し、法薬のぶどうの作り方を村人に教えたので、この地にぶどうが栽培されるようになったという説もあります。
勝沼では、毎年11月3日の『甲州ぶどう』・『マスカット・ベーリーA』を使った新酒ワイン『山梨ヌーボー』の解禁に向けてワインの仕込みが始まっています。
1877年に、明治政府が富国強兵をめざす『殖産興業政策』の一環として『大日本山梨葡萄酒会社』(メルシャンの前身)が設立されて、『高野正誠』(1852〜1923)と『土屋助次郎』(1858〜1940)が醸造・施設・品種を学ぶためにフランスへ派遣され、本格的に日本のワイン造りが始まることになります。
およそ2年後に帰国した2人が最初に手掛けたのが『甲州ぶどう』を使ったワイン造りでした。
現在ではメルロー、シャルドネなどの様々なぶどうを使ってワインが造られていますが、日本の固有種『甲州ぶどう』のみで造られた『甲州ワイン』は日本のワインとして世界で高く評価されてきています。
いつの日にか、甲州ワインを注いだワイングラスを手に名物『ほうとう』を食べ、食後のデザートには『甲州ぶどう』を一粒ずつ口に入れながら一面のぶどう畑の紅葉を眺めたいモノです。