愛媛県・今治市へぶらりと…
★今治タオル
120年の歴史を持つ国内最大のタオルの生産地『今治(いまばり)』。
水に浮かべ5秒以内に沈む吸水性『5秒ルール』の厳しい品質を課す『今治タオル』
明治末期から大正時代に使われた『足踏み織機』が展示されていました。
タオルは、吸水性を高める役割を持つループ状の糸がたくさん織り込まれている『パイル』が必要なため通常の経(たて)糸とは別にパイル用の経糸が必要になります。緯(よこ)糸と合わせて3本の糸を使って織り上げるため、通常の反物を織る織機とは構造が異なります。タオル用の織機は反物用の織機をタオル用に改造して使用するとのことです。
それは現在の機械化された織機でも同じとのことで、またタオル用の織機はパイルを作る複雑な工程なため織るスピードも通常の織り機に比べると随分と落ちるそうです。
昔の織り機で織られたタオルと現在のタオルを比べてみると、その手触りの気持ち良さと吸水性がどれほど進化したのかが、その織機の特徴とともに今治タオルの価値とその品質を守る努力などを話を伺うことで知ることができました。

★今治城
1604年に、藤堂高虎により築城された三重の堀に海水を引き入れ海から堀へ直接船で出入りできる城で、現代において三大水城(今治城・高松城・中津城)の一つにあげられています。
残念ながら天守の存在は不明となっており、1609年に亀山城に移築されたと伝えられていますが今治城には天守の遺構が確認されておらず、その姿を史料を含めて知ることができていません。
現在の天守は、史実に基づかない模擬天守で鉄筋コンクリートで築かれています。
現存天守である松山城・宇和島城、木造再建天守の大洲城と見てきた後に、今治城天守内を見学すると少々残念な気分になってしまいます。
ただ、立派な石垣と内堀が当時のまま残っており、その内堀にはヒラメやスズキ、サメなどの海水魚を見ることができます。
城としての美しい姿を見ることができますので、訪れて見る価値は十分にあります。

★今治市民まつり『おんまく』
この地に伝わる、人の上に人が立って獅子頭をかぶって獅子を舞う『継ぎ獅子』
村を継いでいく村の宝である村の子を『獅子児』として、獅子頭をかぶり2人の大人の上に立ち、扇や鈴を持って舞う『三継ぎ獅子』
3人の気持ちを一つにして、困難に打ち勝つという様子を示すこの『神楽舞』は見ごたえありです。
毎年8月の始めの土・日曜日に開催されてます。
今回は偶然にもこのお祭りを見ることができました。

★今治の焼き鳥
通常は串に刺して炭火で焼く『皮』を、串に刺さず鉄板で焼き上げる『今治の皮焼』
今治では、兎にも角にも『皮焼』を最初に注文するのが常識になっているようです。
店舗によるそうですが、ただ皮だけでなく少し肉を残して焼いてあるので食べごたえは十分です。
絡めてあるタレを、キャベツにつけて食べるのも格別です。
★しまなみ海道
大島の『亀老山展望公園』から眺める『来島海峡』
架かるしまなみ海道を標高308メートルから望むことができます。
★村上水軍博物館
大島にある主に能島の村上氏を紹介した『村上水軍博物館』(観覧料:300円)
村上水軍とは、南北朝から戦国時代にかけ能島・来島・因島の三島にそれぞれ本拠を置いた村上三家が瀬戸内海を支配した日本最大の海賊です。
特に能島の村上氏は、本家として他の村上氏と比べ独立性が強く大きな勢力を持っていました。
村上水軍の最も古い記録は1349年に記されており、その頃から海上警護を名目に船の大きさ『帆別銭(ほべつせん)』として積荷の1割を通行料としていただき、したがわなければ略奪や殺害をおこなっていました。
『村上武吉』が能島の村上氏の当主になると他の海賊を規律を元に強固に束ねることで最盛期を迎え、石高換算で15万石(江戸期の今治藩が3万石)にもなり最大兵力も1万にも達したようです。1555年に毛利元就と陶晴賢との戦い『厳島の戦い』では、毛利方についたともいわれていますが、その事実は残っておらず来島の村上氏は参戦したことが分かっています。
その後は、天下統一した『豊臣秀吉』によって1588年に『海賊停止令』が出され、村上水軍は従来の活動が不可能となり村上三家は海賊業から撤退して、それぞれ陸に上がることになりました。
展示物には、能島村上氏の室町時代から伝わる甲冑や通行許可証である過所船旗(かしょせんき)や陣羽織を見ることができます。

