座して喰らふは 徳の川

「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座して喰らふは 徳の川」
江戸幕府の初代将軍「徳川家康」(1543-1616)をからかう「落首(らくしゅ:世相を風刺した匿名の狂歌や狂句)」が、天保から嘉永の時代(1831-1855)のどこかで生まれ流布しました。
この落首に着想を得て、江戸末期・明治中期の浮世絵師「歌川芳虎」(生没年不詳)が1849年(嘉永2年)に描いた錦絵「道外武者 御代の若餅」には、4人の武者と「君が代を つきかためたり 春のもち」の句が記され、一見すると武者たちが餅つきをしている様子ですがそれぞれの武者の紋所を見ると、杵(きね)を振りかざす「織田信長」と「明智光秀」が餅をつき、「豊臣秀吉」が餅をこね、そして「徳川家康」が餅を食う姿だと推測することができます。
▼「道外武者 御代の若餅」(味の素食の文化センター)
https://www.syokubunka.or.jp/gallery/nishikie/detail/post020.html
このことが神君家康を愚弄していると幕府の怒りに触れたため,絵は半日で発禁となり版木は回収され版元といっしょに「歌川芳虎」は50日間を両手に鎖を付けたまま生活する「手鎖50日」の厳罰を受けることになりました。

戦国三英傑の一人である「徳川家康(旧称:松平元康)」(1619年合祀)と、先祖であり松平家の始祖「松平親氏」(生没年不詳:1965年合祀)を祀る「松平東照宮」が、愛知県豊田市の松平郷にあります。
この時期の「松平東照宮」は冷たい風が吹き付け、紅く色づいた葉々のほとんどが散ってしまってます。
枝だけとなった木々に囲まれしっかりと封印されている松平家代々の「産湯の祝泉」となった井戸があり、1543年(天文11年)に「徳川家康」(幼名:竹千代)が岡崎城で誕生した際にはその井戸の水を竹筒につめて早馬で届けたと言われています。
郷の一角には武家屋敷風休憩所「天下茶屋」が佇み、先の「座して喰らふは 徳の川」の「落首」を模した団子「天下もち」を食らふことができます。
265年続いた江戸幕府が大政奉還(1867年11月9日)によって滅びてから154年。
時代は変わり平成から令和の現代では、それぞれの武将のゆるキャラや美少女化が競われる新たな戦乱の世相となっています。
この「天下もち」を座して美味しく食らいながら、遙かなる歴史を自由に振り返り愉しめるようになった今を喜ばしく思いました。






写真・文 / ミゾグチ ジュン
