奈良県へぶらりと…

★天川村「天河大辨財天社(天河神社)」
広島県厳島・滋賀県竹生島・神奈川県江ノ島と並ぶ日本を代表する弁財天のひとつであり、主祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
七福神の唯一の女性で芸能の神様「弁財天」として知られ音楽・芸術・芸能に関わる方にとって天河神社はパワースポットです。
奈良県の山深くにあり、“縁がなければ、たどり着けない場所”として言い伝えがあるほど交通が不便で、車でもたどり着くのは大変でした。
でも、山奥にぽつりと存在するわけではないので…あぁ、ここなんだと思うことでしょう。
木々に囲まれ、清らかな空気を気持よく感じながら石段をあがって拝殿へ。
能舞台が設けられたこの空間は、異世界に踏み込んだのかなと思わせてくれます。
鈴緒(すずのお)に結ばれた、天河神社に伝わる「五十鈴(いすず)」。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋戸に隠れた際、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、神代鈴をつけた矛(ちまきの矛)で舞を舞ったことで岩屋戸が開かれ天地が再び明るく照らされた伝承があり、その神代鈴が天河神社の五十鈴と伝えられています。
その鈴緒に結ばれた五十鈴が、どのような音色を奏でるのかは実際に訪れて耳を傾けてみてください。

★平城宮跡「第一次大極殿(だいごくでん)」
奈良時代(710 – 794)の、日本の都であった平城京(710 – 784)。
平城遷都1300年記念事業(2010)として2001年から9年かけて復原された「第一次大極殿」。
なぜ第一次なのかは、聖武天皇が740年から都を他所に移し替え745年に再び平城京を都にした経緯があり、その際に大極殿を新しく別の場所に建てました。
奈良時代前半の第一次大極殿は元明天皇、後半の第二次大極殿は聖武天皇になります。
大極殿は天王の即位や儀式、外国からの使者のもてなしに使われる重要な建物でした。
ただ、復原において設計図や参考文献・絵画などが残っていないため、その跡地に残る礎石から大きさを測定したり他の建築から推定したりと相当の苦労だったようです。
本来の姿はうかがい知ることができないですが、その当時にこのような建物があり都の人々が確かに存在し、現代とそれほど変わらないだろうこの夕日の赤さを誰かが眺めていたんだ…と、そう浪漫を感じさせてくれる情景でした。
