秋の勝沼、葡萄の実りと玉張り ニュー

秋分の頃、実りを迎えた山梨県勝沼に広がる葡萄畑は、やや熱気を宿して吹き付ける風と、いくぶん柔らかくなってきた太陽の光を浴びて、もうひと踏ん張りしようと葉を揺らしざわめいています。
この頃の葡萄園では、注文を受けた生食用の葡萄の出荷準備で大忙しとなっており、片隅には発送待ちの葡萄が入った箱が高く積まれています。
勝沼でも猛暑が続いたけれども、葡萄はしっかりとした甘みを持って育ったそうです。
ただ、必要な時に雨が降らなかったことや、夜になっても気温が下がらなかったことなどは、葡萄の実の皮がパンと張って量感が出てくる玉張りや色づき、甘みなどに大きく影響するので、無事に育つまで気が休まることはなかったと言います。

玉張りが良くないと、葡萄一房の実と実の間に隙間ができてしまって見栄えが悪くなるだけでなく、実が小さいことから食べ応えも減ってしまい、また重さを量っての販売のため一房の重量が軽くなれば売り上げにも関わってしまいます。
隙間のできない十分な玉張りを持った一房の葡萄にするには、6月頃の実になる前の粒を間引きする摘粒(てきりゅう)の際に、先の天候を予測しながら収穫時の葡萄の形を想像して、どれだけ摘粒をするのかを適切に見極めることが重要で、その見極めの明確な基準は何年やっても見つけられるわけではなく、年間の作業を通して葡萄に接することでしか見極めに必要な感覚は養えないと言います。
葡萄が立派に育つまでには、手間のかかるさまざまな作業があり、気温や雨などの天候や病気にも気を配らなければならないので大変だと言いますが、どんなに悩ましい話をされても、どこか楽しげな表情なのは、今はやり切った充実感に満たされているからなのでしょう。
残念ながら、どのような話を伺っても葡萄を育てている当事者でなければ実感を持ってすべてを共感することが難しいですが、その苦労が実を結んだ葡萄一粒を食べたときの美味しさは間違いなく共有できます。
そして、ただ美味しいと表現するだけでなく、この一粒が育った葡萄畑の中にいることで、どうして美味しいのかを目や耳、肌で感じられることが、勝沼に訪れることで得られる最大の喜びです。
葡萄の最盛期に勝沼へ訪れることは逃してしまったので、葡萄畑一面にぶら下がっている葡萄たちの姿を見ることは叶いませんでしたが、まだ手をつけていない葡萄や色づきを待っている葡萄たちがぶら下がっていたのでよかったです。
カゴとハサミを受け取ったら、葡萄づくりの作業がしやすいように高さが低くなっている葡萄畑に入って、ぶら下がっている葡萄に頭をぶつけないように腰を低くして歩き回り、玉張りと色づきの良さそうな好みの葡萄を見つけたら、葡萄の房に手を添えて、茎の適当なところにハサミを入れます。
太くしっかりとした茎をハサミで切ったことによって、上からの支えを失った葡萄一房の重みが手にずっしりと伝わる瞬間がとても好きで、つい予定していた数よりも多くの葡萄に手を伸ばしてしまいます。
あと少し実りが続く葡萄があるので、葡萄がぶら下がっている勝沼の風景はまだ終わらないことから、葡萄の葉は日光を浴びて、もうひと踏ん張り頑張らなければなりません。

黄緑色の皮はそのまま食べられ、種はなく、大粒で、糖度が高いシャインマスカットは大人気で、今や勝沼でもシャインマスカットは主力の商品として多くの人が買い求める姿を見ることができます。
また、シャインマスカットは商品としての価値が高いだけでなく、果皮が薄くても裂果しづらく、脱粒もしにくいことから貯蔵性・流通性に優れているなど、葡萄生産者にとっても革命をもたらした究極の葡萄だと言います。
「勝沼や 馬子も葡萄を 喰ひなから」(松木珪琳)
勝沼では、800年以上前もしくは1300年以上前に発見されたと伝わる日本原産の葡萄品種が、葡萄畑に実っているのを見ることができます。
甲州または甲州葡萄と呼ばれ、藤紫色の皮はやや厚みがあり、種があり、中粒で、ほんのり甘く適度な酸味を持った生食ができる葡萄で、現代はシャインマスカットや巨峰などの人気の葡萄の影に隠れてしまいますが、勝沼にとっては特別な葡萄です。
江戸時代の頃、甲州街道の宿場の一つである勝沼宿の特産品として甲州葡萄は往来する旅人たちに人気があり、干し葡萄や葡萄漬けなどの加工品も売られていたと言います。
明治時代になると、甲州葡萄を白ワインに、酸味と渋味が強く生食には向かない山葡萄を赤ワインとして用いる国産ワインの醸造が始まり、1879年(明治12年)に日本初のワイン醸造会社が国産ワインを勝沼で完成させました。
しかしながら、その当時の日本人にとって馴染みのなかったワインは好まれることはなく、普及には苦戦を強いられ、紆余曲折を経ながらも多くの人々の創意工夫や努力によって国産ワインの歴史が築かれた結果、140年以上たった現代では勝沼だけでなく、日本各地にワイナリーが誕生するようになりました。
甲州葡萄からつくられた白ワインを「甲州ワイン」と呼び、勝沼を含めた甲州市内の数多くのワイナリーが高い理念を持ち、独自の技法を駆使して生み出した甲州ワインを世に送り出しています。
甲州葡萄は10月中旬頃までは出回っているそうですので、まだ日中の暑さが残る日にワイナリーを巡る途中にどこかの農園で甲州葡萄を見かけた際には手に取ってみて、昔の旅人になった気持ちで乾いた喉を潤してみていただければ、より勝沼を楽しむことができるでしょう。
ただし、勝沼での甲州葡萄の食べ方は、皮の中の実を吸い出して種ごと飲み込むようなので、人によってはちょっと抵抗のある食べ方かもしれません。
ごくりと喉ごしで甘みも酸味も一気に味わったならば、この甲州葡萄が次に甲州ワインになったことで、どのように生まれ変わったのだろうかと、新たな関心事を増やすことができます。
イタリアでワインづくりが始まったのは紀元前8世紀頃、フランスでは紀元前6世紀頃といわれ、日本との歴史を比べたらとても比較になりませんが、近年では甲州葡萄を原料とした甲州ワインが世界で注目を浴びるようになりました。
たとえ歴史はまだ浅くても、これから長い歴史を築いていくであろう甲州ワインがどのように成長していくのか見守ることを口実に、勝沼に広がる葡萄畑の様子を伺いに暇があれば訪れ、個性のあるワイナリーを巡って新たな発見をし、葡萄が美味しく実った頃には食べ、そして新酒のワインを飲んで今年の勝沼を締めくくる、そんなことを毎年の恒例にしたならば、きっと幸せな人生の道楽になることは間違いありません。
もうワインづくりは始まっていると言います。
今よりもずっと影が長く伸びる晩秋の頃には、今年の葡萄でつくられた新酒のワインが勝沼で楽しめることでしょう。
お気に入りのあのワイナリーの、あのワインが今年はどのような感じになるのか、もう待ちきれません。

