山形県・米沢市へぶらりと…
★上杉博物館・上杉神社・上杉家御廟所
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
上杉謙信・上杉景勝・上杉鷹山・直江兼続…魅力ある戦国からの武将と家臣たち、そして上杉家の衰退と復興などその変遷を知ることができる地です。
明治9年に米沢城の解体に伴い中央に安置された上杉謙信を含め1623年から歴代藩主が埋葬される御廟所は、樹齢400年の杉に囲まれ名門・上杉家が醸し出す荘厳な気を感じられます。
稽照殿では、直江兼続の「愛(愛染明王)」の具足は一見の価値ありです。
★米沢ラーメン
醤油ベースで手揉みの細ちぢれ麺。
あっさりとしたスープですが口の中にいつまでも旨味が残り、麺の量が多く食べごたえ十分です。
★米沢織
上杉鷹山が困窮する藩の改革のひとつとして始めた絹織物が「米沢織」です。
桑を植え、蚕を育て、紅花などの草木で染めて織る自給自足を進め、江戸や京にまで販路を開拓して藩を復興する財源となり現代まで続く産業に育てました、そして大正期には人絹(レーヨン)の開発に至ります。
★原方刺し子
関ヶ原の合戦に敗れ、会津若松120万石から米沢へ30万石に減移封され6000人余の家臣が米沢へと移り住んだのですが、狭い城下にすべての家臣が収まることができず、下級の藩士は別地域に移され河川の氾濫や街道防備にあたる原方衆と呼ばれ半士半農の生活を余儀なくされました。
その原方衆の妻たちは貧しさの中、麻や木綿に糸を通すことで布を丈夫にしたり布を繋げることで、少しでも温かく長持ちさせたいという思いから生まれ、その境遇に負けじと武士の気概をその柄に込めたのが原方の「刺し子」です。
福島県・会津若松市へ
★鶴ヶ城(会津若松城)
上杉家の足跡を辿るわけではないですが会津若松へ。
いつもの会津木綿屋さんに頼まれていた雪花絞りの反物を渡します。
来年の夏用にご本人が着る洋服に仕立てるそうなので、その姿が楽しみです。
会津と有松が小さくとも繋がったようで嬉しい限りです。
そんなわけで、いつもの鶴ヶ城もより美しく感じます。
★高遠そば
そばつゆに辛味大根(アザキ大根)の絞り汁、焼き味噌・ネギを入れて食べる会津独特の蕎麦です。
この辛味が蕎麦の味をより引き立てるようで食べ方としては好みですが、結構辛いです。
会津にはもともと高遠の地名はなく、藩主の保科正之が信州高遠藩から会津藩へ転封された際に高遠の味噌やそば職人も連れて行ったことが「高遠そば」の名の由来になります。
現在では、信州高遠に逆輸入されています。
茨城県・鹿嶋市へ
★鹿島神宮
静寂と大きな木々に囲まれ異世界感満載の日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする神社です。
767年、平城京鎮護のために武甕槌命(たけみかづちのみこと)は白鹿に乗って御蓋山(別名:若草山)に来られた伝説があります。
鹿島神宮(茨城)から春日大社(奈良)へと移ってきた神鹿。
互いの地で人との摩擦でそれぞれの運命を辿りますが、鹿島の地では幕末にはほとんどがいなくなりました。
昭和32年に奈良より3頭、東京より2頭が移り現在は鹿園で20頭余りがひっそりと飼われています。
春日大社(奈良)から鹿島神宮(茨城)へと移ってきた神鹿。
奈良公園の自由気ままな神鹿と比べ、オリに囲まれ見ていて少々寂しく感じました。
千葉県・銚子市へ
★銚子電鉄・観音駅
「およげ!たいやきくん」の流行時の1976年に開店したメルヘンな駅の構内にあるたい焼き屋さんです。
皮がふんわりと厚く、程よい甘さの餡がうれしいです。
薄い皮よりは厚い皮派なので理想的なたい焼きです。